わたしの故郷、東京(松金里佳さん #1)

混沌が連れてくるもの

異なるものたちが複雑に重なり合い、時にぶつかり合い、
何かが生まれる。何かが消える。
定まることなくいつも何かしらの「前夜」が繰り広げられる場所。それがここ、東京。
しかし、このパンデミックはその姿に疑問を投げかける契機となりました。

産業革命以前の歴史に、いまの都会に見るような密集した暮らしの姿はありません。
ずっと未来の教科書にはむしろこの100年が異様なタームとして記されるのかもしれない。
わたしたちは未来の人々に「窮屈な暮らしね」と一蹴されてしまうのでしょうか。

それならばひとつだけ、平然とそこにあった混沌を擁護したい。

なぜなら、
”ふるさと”を想う自然の風景はなくとも、
その代わり数多の文化に息吹が宿されたきたのだと思うからです。

光ひとつない静かな夜は来ないけど、ここには映画館の暗闇がある。
川のせせらぎに耳を済ますことはないけれど、今夜もどこかで伝説のバンドが誕生している。
それがここ東京の、混沌が連れてきた恍惚の表情だと思うのです。

そしてその事実を大切にする気持ちが、
東京で生まれ育ったわたしの「ふるさとへの想い」だと思いました。

じぶんの外からやってきた、じぶんの「優しさ」

もちろん「文化がもたらすもの」と「自然がもたらすもの」は比べることができるものではなく、
それぞれ異なる豊かさがあるものだと思います。
また、この文章は地方と都会の文化的格差の負の側面をあまりに無視していて、
地方で生活をされている方にとって配慮の欠けた言葉に聞こえてしまうことを不安に思います。

ただ、ある人は自然豊かな地方に託した「人の心を育む」機能を、
東京で生まれ育ったわたしには、
文化が果たしてきてくれたということを、ここに書き留めておきたいと思いました。

なぜなら、
これまでたくさんの映画や音楽、本に出会い、
そこで出会ったヒーローや言葉が頭にちらつくおかげで、
人に優しくあろうと思えたり、悪意から人を守ろうと思える瞬間があるからです。

そんなとき、じぶんの外にあった映画や音楽が、
じぶんの「優しさ」を作ってくれていることを感じずにはいられません。

だからこそ、その瞬間から、
「愛」というもののを模索することはできるかもしれない。そう思いました。

いただいたお題に対して少し変化球なエッセイとなってしまったことを、
ほりさんに申し訳なく思いつつ、
次回からは具体的な作品を頼りに、その瞬間について綴りたいと思います。

お付き合いいただけたらうれしいです。

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