光が差し込む裏側に(ふつうエッセイ #19)

一筋の光が差し込む、という表現がある。

なかなか明るい材料が見つからない状況の中で、文字通り、少しだけ希望が見えた・見出せた、というような意味だ。

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今朝、ちょっとした悪夢を見た。

起きた瞬間、じとっとした汗をかいていた。夢で良かったと安堵しつつ、脳裏に貼り付いたイメージを少しずつ剥がしていく。

洗面所で水を飲み、寝室に戻る。

すると、前夜にちゃんとカーテンを閉めていなかったのか、カーテンと窓の間から、一筋の光が差し込んでいた。

こういうときに、何となく、あくる日の良いイメージと結びつけられるのだから、人間というのは単純だ。悪夢の後には、きっと良いことがある。笑ってしまうくらいの楽観だけど、その感覚は不思議と信じられる。

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TOKYO2020が終了して、間もなく20日間が経つ。

束の間のオフを楽しむアスリートが時折メディアに顔を出すも、多くの人にとって、緊急事態な平常運転に戻っていることだろう。

無観客で行なわれたアレは、本当に、東京の「どこか」で開催されていたのだろうか。イマイチ実感を持てずにいたし、今も遠い世界のことにように思える。良い夢だったと思う人もいれば、最低の悪夢だとこき下ろす人もいる。同じ景色を見ていたはずなのに、どうしてこうも違うのか。

夢から醒めた。緊急事態な平常運転は未来に向かっている。

しかし、置き去りにされた過去を、精算しないまま進んで良いのだろうか。一筋の光が差し込む、その裏側には、見つからないように息を潜めた魔物が確かに存在している。

一般的に、その場所を、陰と呼ぶ。