声を聞く(ふつうエッセイ #594)

岸田文雄さんが自民党総裁戦に立候補したとき、「聞く力」という自身の特徴を挙げていた。

当時(というか今も)、決断力といった言葉がもてはやされていたこともあり、その言葉に新鮮さを感じたのをよく憶えている。彼が実践できているかはさておき。

いま、まさに「聞く」ことが難しい時代になっている。

インターネットを通じて、2000年代から「発信の民主化」が行なわれるようになった。

そこから20年経ち、「聞く」ことはダサいと見做され、せっせと自分の功績づくりに躍起になっている。

でも、声を聞くことは、スキル的にも難しいものだ。取捨選択ということではなく、聞くことはエネルギーを要する。誰かの話を1時間、間髪いれずに聞くことは本当に大変で。職業柄、インタビューの機会があるけれど、たった1時間であっても、終わったときにはクタクタに疲れているものだ。

しかも聞くことは、それほど評価されない。「〜〜を変える!」と言った方が凄いと見做される。

でも、聞くという地道なアクションを続けることでしか、筋の良い企画は生まれないように思う。聞くことが、改めて再評価される時代は来るだろうか。聞くことの意義・意味が、これ以上失われないことを切に望んでいる。