登場順のエンドロール(ふつうエッセイ #573)

たまに映画本編の後のエンドロールで、キャストが「order of appearance(登場順)」にて流れることがある。

最近は珍しいことではないので慣れてしまったが、その姿勢には意味を感じたものだった。もちろん言わずもがな、映画には主役、準主役、脇役……のような役割があって。それは必ずしも序列ではないのだけど、暗黙の了解で、映画のエンドロールは序列を感じさせるような並びになっている。

「誰ひとり欠いても、この映画は成立しなかった」というのは、さすがに言い過ぎだけど、それぞれのキャストに敬意を示すことは大事だ。キャストはスタッフがいなければ映画は作れないけれど、同じように、スタッフはキャストがいなければ映画は作れない。出演料だって差はあるけれど、同じひとりの人間ということに変わりはない。(映画「アフター・ヤン」で出てくるようなAIロボットが、いずれ人間のキャストのように演技することがあるかもしれないが)

組織をピラミッドや木のような形で喩えることがあるけれど、そういった枠組みも機能しなくなるのではないか。トップダウンよりもボトムアップの方が優れているとは言わないけれど(そもそも二項対立するものでもない)、コロナ禍でフレキシブルな組織がどんどん生まれている気もするのだ。

エンドロール、好きなんだよなあ。

映画で印象深かったもの(音楽だったり、美術だったり、衣装だったり)をひとつ決めて、誰がクレジットされているのかチェックするのはお薦めです。あと、ロケ地とか。「お、地元で撮影してたんだ!」とか、色々な発見があるものです。