改札口が見えるスターバックス(ふつうエッセイ #45)

朝から、駅の改札口が見えるスターバックスで仕事をしている。

いつものオフィスや自宅と景色が違うだけで、アイデアの湧き方が異なる気がする。個人差もあるだろう。気のせいかもしれない。だけどいつもと違うことが「アイデアを得られる」感覚を持たせるなら、かなり意義のあることだと思う。

改札口をぼーっと眺める。様々な人たちが駅を利用している。ビジネスパーソン、学生、子どもを連れた母親、老夫婦、カップル……。彼らはどこに行くのだろうか。

改札を通るとき、ほとんどの人がSuicaやPASMOなどのICカード乗車券を利用している。タッチする場所を全く見ずにカードをかざす人もいれば、しっかりと目視してタッチする人もいる。タッチの仕方も様々で、そおっと触れる人もいれば、ガチャっと音が聞こえるくらい強く叩く人もいる。Suicaのタッチの仕方でその人の性格を垣間見れるが、いちいち類型化するほど僕はマメではない。(暇でもない。暇があればと冗談抜き思うのだが)

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「人間観察が趣味です」という人がいる。

街ゆく人たちの性格や人生を想像するのが楽しいのだ、と。

そのことにあまり(いや、全くと言うべきか)共感はできないのだが、駅を利用する人たちそれぞれに人生があるんだと想いを馳せるのは、なんというか必要な行為ではないかと思ってきた。

ふつうに生活していると、たいていは見知った家族や友人、同僚と接することが多い。価値観も似通っているから、付き合っていてとても楽だったりする。

立ち止まってスマートフォンをいじっている、あの女性。スクリーンを覗くことはできないが、どうやらゲームをやっているわけではなさそうだ。何をしているのだろう。LINEで友達との待ち合わせをしているのだろうか。もしかしたらせっせとYahoo!コメントに過激な投稿を寄せているのかもしれない。彼女は満足した日常を送っているのだろうか。

想像力というのは、自分の中で完結するものと、他人を介在して発出するものの2種類がある。どちらかだけだと偏るから、ストレッチと同じ感覚で、ときどきは他人の心にワープしてみるのも健全な思考実験かもしれない。