新聞を読む人(ふつうエッセイ #8)

図書館で本を読む人たちのことを、とても素敵だと思う。

せっせと、実に熱心に、彼らは図書館で新聞を読んでいる。

新聞はなかなか高級品だ。会社勤めをしている人ならまだしも、定年で会社を退き、限られた収入のもとで家計をやりくりしなければならない中で、新聞の定期購読を続けることは悩ましい問題になる。

何割かの人々は新聞の定期購読を止める。

記者による良質な情報は遮断され、テレビやインターネットに情報を求めるようになる。

そこに違和感を覚えた人たちが、毎日図書館に足を運び、新聞を読んでいる(のではないか)。

ずっと変わらない、大きな紙面を丁寧に扱いながら、彼らは新聞を読む。静かな図書館の中で、彼らの周囲はことさら静謐な雰囲気が漂っている。

* * *

コロナ禍に入り、図書館が休館になってしまったことがある。

僕も図書館のヘビーユーザーなので残念だったが、彼らにとっても大変な時期だったのではないだろうか。ある意味で命綱だった情報収集の源が、たとえ短期間であっても遮断されてしまったのだから。

やがて休館が終わり、図書館が再開する。彼らはやはり、変わらずに図書館を訪ねていた。休館前と変わらず、熱心に新聞に目を落とす。新聞は、彼らの熱心さを歓迎する。長年連れ添った夫婦のような、温かい関係性を見出すことができる。

僕が通うコワーキングスペースにも新聞が置いてある。

だけど、誰も新聞なんかに目をくれない。コワーキングスペースに到着すると、ノートPCを取り出して、せっせと仕事に向かう。

別に悪いことではない。それはそれで普通なことかもしれないが、ややクールすぎやしないかと僕は心配になってしまう。

かと言って、僕自身も、熱心な新聞の購読者ではない。

だからこそ憧れるのだ。新聞を読む人の、どこか哲学的な生き方を。