麦茶と氷(ふつうエッセイ #301)

夏真っ盛り。

そこそこに慌ただしい日々の家事に、「麦茶づくり」と「製氷」のふたつが加わっている。

どちらも大した手間ではない。麦茶は水を沸騰させて麦茶パックを入れるだけ。製氷については説明の必要もないだろう。

しかしながら猛暑のせいで、家にいるときは、ほぼずっと麦茶づくりに追われているような気がする。1リットルの容器が2本あるんだけど、すぐに片方がなくなってしまう。そのたびに小鍋を取り出して、あたふたと沸騰させるという感じで麦茶をつくっているというわけだ。

こうして毎日続けていると「おれは残りの人生で、あと何回麦茶をつくるのだろうか」と思ったりする。エコで安上がり、何より美味しいのだけど、働き蟻よろしく、なかなか奔走しちゃってるなと可笑しくなるのだ。

ちなみに3〜4年前は、ペッドボトル麦茶を箱買いで購入するのが常だった。とある人が「みんな社会的なイシューに関心はあるけど、実生活では利便性に負けてペットボトル買ったりしちゃうんだよね」とポツリ漏らしたことがきっかけだ。対抗心ということではないのだけど、「なるべくペットボトルは買わないようにしよう」ということで、家族を巻き込みながら現在の運用を続けている。

そう考えると、自由意志に従っているようにも思う。

ん?というか自由意志って、こういう使い方で合ってるんだっけ?

まあとにかく、今日も明日も、せっせと麦茶をつくるのだ。