傘の突進(ふつうエッセイ #95)

雨天時は、視界確保が難しい。

傘をさすにせよ、フード付きのレインコートを着るにせよ、普段よりもガクッと見える量が減ってしまう。雨は遠くを霞ませるが、逆に言えば、僕という存在は他者からみれば霞んでしまう。

なので雨天時、子どもを連れて歩くときは命懸けだ。

命懸けだ、とは大仰な表現のようだが、実際に危険が山ほどある。スピードを落とさない車があるし、傘をさしている自転車もある。手が空いていないこともしばしばあって、子どものイレギュラーな動きに対応できなくなっている。

そんな危険を想定しながら雨中を歩いていると、前から早歩きで突進してくるものがあった。傘だ。「傘」が突進してきたのだ。

え?と思い、息子の手を強く引き後退したのだが、その正体は、傘で前方をほぼ覆いながら歩いている「人」だった。

そりゃ、傘が突進してくるわけではない。

だが、そのときの僕には、傘が突進しているように見えたのだ。

強風から身を守っていたのかもしれない。手元のスマホが濡れないように傘を傾けていたのかもしれない。

いずれにせよ、彼(彼女?)は、僕らの存在など眼中になく、ただただ前進を試みていた。

やっぱりそれは危ない行為だ。僕らという他者へ危害を及ぼす存在でもあるし、何より自分自身が周囲から傷つけられる状態でもあった。ほぼ前が見えない状態だっただろうから、うっかり道に逸れたら大惨事だったかもしれない。

傘の突進というのが「ことわざ」的に転じて使用されないだろうか。自他への危険を顧みずグイグイ進むことだ。

「おい、傘の突進みたいに勝算なくフリーランスになるのは止めろ!」とか「その企画、ちょっと傘の突進みたいに危うくないか?」とか、そんな感じで使われることを想定している。

まあ、でも、新しい日本語として採用されなくても良いから、傘の突進というフィジカルな現象はなくなってほしい。みんなの、ために。