春の休日、朝5:55(ふつうエッセイ #566)

時々、目覚まし時計のアラームが鳴る前に、目が覚めることがある。

今朝も「ああ、目が覚めたなあ」と思った。うっすらカーテンの隙間から、深夜帯でないことが分かる。じゃあ何時だろう?そう思ってiPhoneに手を伸ばすと、5:55だった。

まずやるべきなのは、アラームを消すこと。

よいしょと、プチプチ設定していた時刻のアラームをオフにする。思い切って布団から出て、トイレに行き、顔を洗う。

そのときには「起きる」という意思決定をしている。

花粉症の目薬をさしたら、もう布団に戻ることはない。つい1ヶ月前は、寒くて身体が縮こまっていたけれど、今はそうではない。春の訪れ。

今日は、どんな1日になるのだろう。

この問いは、意外と忘れがちだ。節目のタイミングで「今日が良い1日になりますように」と祈ることはあるけれど、期待を背負いながら「今日」という1日に思いを馳せることは、あまりない。少なくとも、僕には、ない。

外は雨。

そういえば、醤油が切れているんだよな。思い切って、外に出ちゃおうか。それも悪くないと思える。春の休日。