必ず、本を携える(ふつうエッセイ #349)

外出するとき、バッグの中に2〜3冊程度の本を入れる。

たとえ分刻みで用事があり、本を読む可能性が低かったとしても。たとえ本を読む可能性が1%でもあるなら、ルーティンを崩す理由にはならない。仮に正真正銘の0%だとしても、「何を持っていくか」を考えた時点で読書行為は成立する。「バッグの中に本がある」という状態だけで、本の価値を十分享受しているといっても過言ではない。

そんなことを書くと、「読書家なんですね」と言われることがある。

でも、そういった意識は全くない。むしろ気分によって、本を全く読みたくないときもある。本を読むスピードも人並みだし、古典のような難解な本は苦手だ。自分の読書感覚は、極めて「ふつう」だといえるだろう。

本は、携えた方が良いに決まっている。

なぜなら、多くの本には、自分自身が拾えていないたくさんの知恵が記されているからだ。

ここでいう知恵とは、情報とか知識とか、「すぐにわかる」ものをだけを指しているわけではない。また、知恵が記されているからといって、その知恵を効率的にキャッチアップすべきだとも僕は思っていない。

むしろ「分からない」ことに気付いたり、「わからない」ことが「ああ、やっぱりわからないね」という自己理解に繋がったりした方が良い場合もある。そんなに簡単に、知恵なんて身に付くわけがない。(もちろん若い読者が、雷に打たれたような衝撃を体験するのも貴重な読書体験のひとつではあるけれど)

いずれにせよ、こうして書いたことは、バッグの中に本がなかったら体験できない。自宅で本を読むこともできるけれど、例えば在宅と外出が半々だったとして、外出時に本がないときは、本に触れる機会が半減してしまう。

重ねていうが、本は、携えた方が良いに決まっている。

良いものは、常に携行していたい。良いものの定義は人それぞれだけど、僕は、知恵が付帯したものと考えている。本は知恵が付帯されており、しかも安価で購入できる。持ち運びもしやすい。

本を携えない理由を、僕は見当もつかないのだ。