運転というハードル(ふつうエッセイ #678)

ずいぶん長いこと、車を運転していない。

以前は1年に数回はレンタカーを借りていたのだけど、コロナ禍などの影響もあり、すっかり車を運転する機会がなくなっている。先日も実家で「駅まで車を運転する」機会はあったのだが、駅前のロータリーってけっこう混雑しているよね……なんて理由をつけて断ってしまった。実際、ちょっとバタバタした場所で車を運転するのは怖くなっている。

そんな僕にとって、都内での運転というのは恐怖でしかない。レンタカーで遠出をするとき、まず東京都を脱出できるかどうかが一番の緊張ポイントだったりする。車線変更しかり、不意の逆光しかり、大量の路駐しかり。トラップ続きの道路で、運転不得手者の葛藤は大きいのである。

自動運転が、早いこと導入されれば良い。

いやせめて、タイヤが横回転して、駐車しやすい車をつくってほしい。

自動車に乗らない人間にとっては、いくら自動車やガソリンに税金が上乗せされても良いと思っていたけれど、なかなかことは簡単ではない。物流コストが上がることを意味するからだ。でもなあ、と思う。もうちょっと都心の車の量が少なければ、サクッと車を借りて運転する機会も多いのだけれど。単に習慣の問題かもしれないけれど、運転の心理的ハードルというのは、思いのほか、大きいものなのだ。