もう一つの要素が「信じること」だ。自分を信じ、他人を信じなければ、愛することはできない。信じる力を身につけるには、自分の思考や感情の経験にもとづいた確信が必要になる。それは、誰かが良いと言っているから良いという権威にもとづくものではあってはならない。言い換えれば、自分なりの「芯」を見つけることだ。自分が何を大切にしているのかを理解するとも言える。
自分が大切にしていることを大事にすることは、誰かが大切にすることもまた大事にすることだ。
*
ゆえに、フロムは、特定の人だけを愛し、それ以外の人は愛さない、ということはありえないという。それは、誰かの大切にしているものを否定していることであり、信じる姿勢とは相反するからだ。
当然、過ごす時間の長さが異なれば、愛を注ぐ時間は異なる。だが、Aさんに対しては愛を向けるが、Bさんには愛を向けない、ということは起こらない。それは、ナルシシズム的に相手を判断しているからだ。誰であろうと、自分の信念を持って相手に接する。そして、受け入れられないことも理解する。
「人を愛するというとは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである」とフロムが述べるように、むしろ、受け入れられない可能性があるからこそ、自分なりの信念を強く持たなければならない。
ところで、人を愛すると言っても、その対象はさまざまだ。特に気になるのが恋愛だろう。恋愛というのは、友人への愛や家族への愛とも異なる。あらゆる人を愛する姿勢をとることと、恋愛の間にはどんな差があるのか。
まず、フロムは恋愛を「他の人間と完全に融合したい、ひとつになりたいという強い願望である」と定義する。そして、「もっとも誤解されやすい愛の形」だともいう。
ひとつになりたい願望というのは、性欲に基づく欲求やこの人を所有したいという執着によるものではない。「自分の全人生を愛の人生に賭けようという決断の行為」である。そのためには、まず自分の本質を愛し、相手の本質と関わり合う必要がある。