縁側でスイカ(ふつうエッセイ #638)

子どもの頃、夏休みに祖父母の家で長期滞在するのが楽しみだった。

長期滞在といっても1週間とかそこらだったけれど、花火をしたり、夏祭りに行ったり、川辺で遊んだり。30年前は今ほど酷暑でなかったので、外で自由に遊ぶなど、1日を満喫して過ごしたように記憶している。

楽しみのひとつに、縁側に座って食べるスイカがあった。僕はスイカが大好きな子どもで、祖父母から大きなスイカを与えられるとそれだけで幸福な気分になれた。スイカの種は、縁側から庭に向かってピュッと吐き出す。普段は、唾を外で吐くなんてもってのほかなのに、なぜかスイカの種は吐き出しても怒られない。むしろ、みんな嬉々として、スイカの種を遠くまで飛ばしていた。あれは、考えてみれば不思議な営みだったと思う。

今、僕は東京都内のマンションに住んでいる。プライベートな庭はなく、子どもたちはテーブルに座ってスイカをかじっている。

家の中では、スイカの種は飛ばせない。飛ばしたら、さすがに「やめて!」と叱ってしまう気がするけれど、うーん、果たしてそれは正しいことなのだろうか。

あの幸福な幼少期の思い出を、少しでも味わってもらいたい。そうなると祖父母の家に行くしかないのだけれど、まあ、イベントなんてそんなものだろう。毎日スイカの種をピューっと吐き出していたら、それは日常に馴染みすぎて特別な思い出にはなるまい。

縁側でスイカ。多くの子どもたちが、種をピューっと飛ばせる日々を過ごせますように。