愛と安心感と誠意(ふつうエッセイ #628)

「ふつうごと」をローンチしてから、「ふつうエッセイ」だけは毎日続けている。

同じように、2021年11月から始めた #愛を語ってくれませんか? という企画も、毎月続けている。途中で書き手の方が離脱してしまったことはあったけれど、どうにか続けている。書き手の数は18人にものぼった。でも、まだ愛の正体はかけらも分からない。

でも、僕という人間はせっかちなもので、ひとつの区切りをつけて「総括」をしたいななどと考えてしまう。例えば「本にしたいね」「ZINEの方が向いているかな」なんてことを。やっぱり紙を手にとったときの「手触り」というのは特別なもの。僕にとって本とは、言うまでもなく紙の本を指しているのだけど、やはりパソコンやスマートフォンのスクリーンを通じて見る文字と、紙の本を通じて読む文字は、印象が変わっていると思うのだ。

まあそれでも、糸井重里さんのように、「ほぼ日」というインターネットサービスを通してでも伝わってくるものはある。糸井さんの温度感が、確かに伝わってくる。あれは、やっぱりすごい。

もちろん文章の力もあるけれど、「糸井重里」が発する言葉ということで安心感、信頼感があるのかもしれない。そう考えると、パソコンやスマートフォンでは伝わらないから紙の方が良いね、なんてのは、ちょっとした甘えのようにも思えてくる。まだ僕にできることはあるんじゃないか、インターネットサービスをもっと駆使してやれることはあるんじゃないか。

未来に向けて、やるべきことを考えるのは大切なこと。

でも同じように、今だからこそ「誠意を尽くす」ことも忘れてはならない。なかなか誠意を込められていないなあ。これでも一生懸命なんだけど、毎日バタバタしちゃうものなのよね。