おむつ買って地固まる(ふつうエッセイ #611)

全く意味のない言葉が、ときどき頭に浮かぶことがある。

犬も歩けばキャッシュにあたる。
産経真聞
おむつ買って地固まる
ラッキークッキーパリッパリー

どこかにメモするわけじゃないけれど、たまには発散しておいた方が良いのでは?と思い、今日のエッセイのネタにしている。こんなこと書いても、1ミリも得しない。新しい仕事が舞い込むわけがない。あまりにくだらないので、誰にも見られてほしくないとすら思っている。(特にクライアントや取引先の皆さん、ページをそっと閉じてもらえたらと)

どれだけくだらないことを考えられるか選手権というものがあったとして、たぶん僕は、ほぼ下位に留まるだろう。やろうと思えば、人間は恐ろしいほどくだらないことを考えられる。それを僕は知っている。

僕は企画者としては、本当に凡庸で、セ・リーグの投手の打率くらいしかヒットを打てない。それは1社目で所属した会社にいたとき、みんながめちゃくちゃ面白い企画を考えていたのを目の当たりにしたからだった。僕もそれなりにアイデアマンだろうと自信はあったのだけど、企画会議の終わりに絶望するほど頭を抱えてしまった。

それでも何とか僕が「飯を食って」こられたのは、とにかく形にする意思があるからだと思う。思いつきで終わらず、とにかく何らかのアウトプットをしてみる。これに尽きるというか、これしかないのである。

思いとどまって「助かった」と思うこともあるけれど、実は、思いとどまって「失った」ことも多かったはずだ。地獄を見るような冷や汗をかいたって良いから、死なない限りは、とことん何でも打ってしまえば良いような気がしている。

ラッキークッキーパリッパリー、なんて、誰が繰り返して使用したいと思うだろうか。実につまらない。でも、たぶんこの世の中で、「ラッキークッキーパリッパリー」を三度も使えるのは僕だけだろう。鋼のメンタルとかではない、ただただ、思いついたものを口にしないのはもったいないという性分なのである。

ラッキークッキーパリッパリー。

クッキーのように、ラッキーもパリッパリに食べられるものなのだろうか。胃の中に収まったラッキーは、別の形でラッキーを呼び込んでくれるのだろうか。

分からないし、分かろうとも思わない。こんなくだらないこと、さっさと忘れてしまった方が得である。

ちなみに、なぜ「おむつ買って地固まる」というタイトルにしたかというと、さっきドラッグストアで次男のオムツを買ったから、それだけの理由だ。このおむつは、ずっとサラサラをキープしてくれるという。気持ち良さげに両手を広げたboy(と、うさぎ)が、こっちを見て微笑んでいる。微笑み返した僕の口角は、きっと2ミリくらいしか上がっていないのだろう。