もう、いらなくね?(ふつうエッセイ #489)

オンラインミーティングが増え、ZOOMやGoogle、LINEなどを通じてやり取りすることが多くなっている。

対面で話をすることで情報量が増えるの確か。だが、必要に応じてオンラインを併用することは業務効率も上げられている。有料プランも契約しているが、今のところ手放せる気は全くしない。

通話後に、音質評価のポップアップが表示されることがある。全く煩わしさを感じず、「よいしょ」という感じで「星5つ」をつけるのが常だ。自然な流れ、もはやルーティンとして、その一手間は組み込まれている。

たぶんこれらは膨大なデータとなって、日々、品質向上の努力がなされて「いた」のだろう。品質に問題を感じるケースもほとんどなくなっているから、どのベンダーにとっても、評価はほとんど最高点に近いはずだ。

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なされて「いた」と書いた。

たぶん、各社にとって音質評価の点数は、もはやKPIに組み込まれていないだろう。

評価が「4.8」だろうが、「4.9」だろうが、「4.99」だろうが、本質的には変わらない。意地悪なユーザーもいるから「5.0」にはならないけれど、後は他サービスの充実をはかったり、マーケティングの努力をしたりといった課題に移行しているはずで。(もし、今も品質向上に力を入れているベンダーがあれば、それはリソースの無駄遣いとも言えないか)

だったら、音質評価のポップアップは不要でも良いはずで。惰性で入力させているのだったら、その一手間の労(の蓄積)を想像すべきだろう。

繰り返すが、ポップアップの表示は全く煩わしくないし、自然な流れで入力は行なえている。それが前提で、もはや不要では?という提起がしたい。提起という大袈裟なものではなく、「もう、いらなくね?」みたいなカジュアルな気付きなんだけど、その辺のニュアンスは各社に伝わっていくだろうか。

世の中には、このように惰性で入力を求める仕様に溢れている。心の中で「もう、いらなくね?」と思っていても、口に出さない風潮は続いている。口に出すほど困ってもいない。慣れてしまえば大丈夫という類のものだ。

海外では、レジ打ちの店員さんは座って作業している。それでOKだと思う。レジ打ちの店員さんが座って作業できるなら、足が不自由な人だって働けるだろう。1分1秒を争うかのようにレジ打ちする技術も惚れ惚れしてしまうし、そこを否定はしないけれど、「座っても、いいんじゃね?」と言える空気は作りたい。

人じゃなくて、仕組みの話。

それを考えた先に、「でもやっぱり、いいよね」ってなるかもしれないけれど、それはそれで良き再発見だと思うのだ。