小休止(ふつうエッセイ #481)

年末年始の休みがあって良かった。

この、ほとんどの人が稼働しない瞬間に、やりかけていた諸々のタスクを進めようと目論む僕にとって、この年末年始というのは、たぶん1年間で唯一の挽回のチャンスだと思っている。

昨年創業して、初めての年末年始を迎えるときに、その思いを強く抱いた。だけど今年は、その比ではない。あれもこれも「仕掛かり」の状態で、多くの人を待たせている。あるいは呆れられているかもしれない。

信頼こそ全てな世の中で、信頼を失うことほど辛いものはない。

だけど、自分の見積もりの甘さが引き起こす「仕掛かり」というのは、どうにもならない。だから、それを年末年始で挽回するのだ。そう思っていたのだけど。

やっぱり、年末年始の休みというのは、僕にとってもブレーキがかかる期間であって。普段は眠たくない時間帯に、急激に睡魔が襲ってきたり。1杯のビールで、舌がまわらないほど酔ってみたり。託児所代わりに期待していた実家も、年末年始はそれなりに慌ただしくて、まあ普通に子どもたちと一緒に遊んでいたりする。それが当然といえば当然なのだけど。

そんなこんな。年末年始の1/3が終わろうとしているのに、「仕掛かり」には一切手をつけられていません。

明日は、さすがに部屋に篭って仕事しないといけないよなあ。でも、年末年始って、商業施設も小休止していることがほとんどなんだよなあ。

終わるか、終わらないか。

それくらいの決意では、年末年始の「仕掛かり」には対応できない。年末年始はテレビの特番もあれば、年末に合わせて観ようと思っていたNetflixドラマもあれば、親戚付き合いもある。一足先に、誘惑の福袋が舞い込んでくるのだ。

「終わらせる」という断固たる決意。

年末年始に「日常」を持ち込むのは、なかなか容易なことではないのである。