左手でみかんを剥く(ふつうエッセイ #475)

38年間右利きを通してきたけれど、時々、左右のバランスを調整したい欲求に駆られる。

例えばボールを投げるとき、当たり前のように右手を使ってきたわけど、笑っちゃうくらいに左手では全然投げられない。だから長男が生まれて、ボール遊びをするときは左手を使うようになった。最初はあさっての方向に投げてしまうこともあったけれど(それはそれで、乳幼児だった長男も楽しんでくれた)、いまは、わりとまっすぐにボールを投げられるようになっている。

左手で投げるようになって判明したことだけど、僕は右手で投げるとき、かなり力が入っている。だからこそ遠くまで投げることもできるのだけど、そこには、自分では気付かない「くせ」のようなものがあるのだろう。正しい投球フォームで投げていないと、身体が妙に歪んでしまう。野球選手であれば、その歪みがもとで慢性的な痛み、そして致命的な怪我につながってしまうだろう。もちろん変則的なフォームで活躍した野球選手もいるし、アンダースローで著名な選手も何人もいるけれど、彼らは身体を柔らかくして、変則的なフォームに耐えられる身体を作っているわけで。そういった特殊な事例を認めることなしに、正しくない投球フォームを礼賛するのは健全ではないのではないだろうか。

この冬、僕はみかんを左手で剥くことを始めた。

力点、支点、作用点が、左右逆になることによって、剥きづらさがかなり上がっている。スルスルと一回で剥けていたのが、二回三回と手間が発生している。上手く剥けるようになるまで、もう少し時間を要するだろう。

例えばパソコンは、左利き、右利きを意識したUIになっているのだろうか。やっぱりEnterボタンは右側にあるから、右利きを「標準」とした作りになっているのだろうか。

そんなことも、左右の「利き」というものを考えながら、俯瞰するのも楽しい。とりあえず、この冬は、左手でみかんを剥けるように頑張ろうと思っている。