無償の愛は存在するか(碧月はるさん #2)

家庭が安全基地でなければ、子どもの羽根は簡単に折れてしまう。折れた羽根の修復には、長い時間がかかる。40年経っても修復しきれずもがいている大人の顔を、毎朝鏡で見ている。上手に眠ることさえままならない。そんな未来を子どもに手渡したくはない。

私は、我が子にこう思って生きてほしい。

自分は、愛されて産まれてきた。

そこだけは、一点の曇りもなく信じていてほしい。息子の父親とは離婚という結末に至ったものの、息子たちを授かったとき、私たちは間違いなく愛し合っていた。私は彼らを望んで授かり、愛を持ってこの世に産み落とした。その事実だけは、この先何があっても揺るがない。

自分は、望まれて産まれてきたわけじゃない。そう思って生きるのは、あまりにも苦しく、悲しいものだ。無償の愛を手渡せるほど、私の心は広くない。でもせめて、自分が嵌められた不自由な足枷を、次世代に引き継がない努力はしたい。

「ごめんね」と謝る私に、「いいよ」と笑いかける。「もう、おかあさんったら、しょうがないなぁ」とおどける。そんな息子たちを、心底愛おしいと思う。でも、そこに甘えるばかりの母親ではいたくない。

彼らもいつか、今の私と同じ年齢を迎えるだろう。その頃、彼らが自分の命を慈しめる人間であってほしい。そんな未来を願いながら、私はこれからも、息子たちに愛を手渡す。

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