定型文の登録(ふつうエッセイ #358)

よくある仕事に役立つライフハックのひとつに、定型文の登録がある。

「おせわ」と打つと「お世話になっております。」に、「いじょう」と打つと「以上、何卒よろしくお願いいたします。」に変換されるという具合だ。

メールアドレスのように、入力ミスしやすいものも、定型文登録が有効だ。以前隣の席で仕事をしていた上司は、3回に1回くらいは定型文入力だったような気がする。「ああなるほど、こうやって仕事のスピードを上げるんだな」と思ったものだった。

もちろん、定型文の登録だけで仕事のスピードが上がるわけではない。ライフハックとか、TIPSとか、そういった「仕事術」は、良くも悪くも小手先のテクニックが多い。一手間をかける面倒くささも相まって、「いや、定型文なんて使ってないよ」というタイプがいるのは確かである。

小手先とはいえ、積み重なって大きな無駄になることを無視するのはナンセンスだと個人的には思っている。だが一番感じるのは、こういう話はどうも噛み合うことがないのだ。この件に限らずだが、二者による如何とも埋め難いギャップの正体について「うーむ」と考え続けていた。

性格の問題もあるが、おそらく効用を知らないことが原因だろう。

mixiやGREEといったSNSが出てきた当初、面白がって登録する人は多かったが、継続している人は一部に留まった。だが続けている人たちは何かしらの効用を知っていて(あるいは信じていて)、日々の更新に熱心になっている。自己肯定感から、実際の仕事に繋がるまで、その効用は様々なわけだけど、それがどうしても感じられなくなるときにサービス継続の意思は消える。

定型文の登録は、前述の通り、ちょっと面倒なものだ。

僕はメルカリを使う際も、一部の取引メッセージを定型文化して対応している。だけど「メルカリなんて、月に一度使うかどうかでは?」と思う人にとって、わざわざ定型文にする効用は薄いのだろう。週一度の取引だけでも、効用は低いままかもしれない。

効用は自然と感じるものだが、感じるよう意識に働きかけることはできる。その感覚に敏感になった結果、良いライフハックを獲得できたら、それはひとつの達成だろう。小さいことからコツコツと。そんな生き方を大切にしたいものだ。