杏さんの朗読(ふつうエッセイ #350)

2021年8月にNHK「100分 de 名著」で紹介されていたのが、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんの『戦争は女の顔をしていない』だ。

『戦争は女の顔をしていない』は、第二次世界大戦でロシア軍に従軍していた女性兵士の「戦中+戦後」を描いた作品だ。500人を超える人たちの証言が元になっていることから、証言文学とも呼ばれている。証言の生々しさは、当時の凄惨さを現代にありありと示している。

番組では、俳優の杏さんが『戦争は女の顔をしていない』を朗読していた。その朗読は、唸るほど迫力があった。俳優、声優などが朗読を務めることが多く、どれも素晴らしいのだが、杏さんに限っては別格だったように思う。

底が暗く、ときに冷笑を浮かべながら、女性兵士に憑依するような感じ。機会があればぜひ朗読を体感してほしい。

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朗読とは、本を読み上げること。その場限りの言葉が発せられ、消えていく。

本の場合、前後に文章が刻まれている。読み飛ばすこともできるし、戻ることもできる。朗読はその場限りの音声が発せられるだけだ。だから耳を傾けなければならない。

耳を傾けたとき、杏さんの朗読にロック・オンされたのだ。ひたひたと耳の中をなぞるように、杏さんの言葉が通っていく。「得難い体験をしている」ということを確信するような、そんな体験だった。

朗読とは「朗らかに読む」と書くが、まるで朗らかではないトーンで読まれた声の方が、耳に、あるいは記憶に残るものなのかもしれない。

余韻は続く。

誰にでもできることではない。テレビというメディアの中で、ちゃんと才能が切り出されていた。その場に留まり、同時に飛翔する。

才能とは、矛盾を軽々と超越する技巧のことをいうのだと知った。