人生は「好き」を集めていくもの / オタク気質女子の戯言 (ももさん #1)

私のギャップイヤーの目的は「『仕事にしたい!』と思えるほどの、やりたいことや好きなことを見つけるため」でした。

例えば中高生の頃、たしかに私は音楽が好きでした。しかし好きになる理由は、「曲が良いな」だったり「友達が好きだから」だったりと、なんとなくですが、純粋にアーティストそのものを好きになるという感じではありませんでした。いま考えると悪いことではないのですが、当時は「好きだ!」と自信を持って語れることがない自分が苦手でした。「小さな好き」がたくさんある自分と、ひとつのものに夢中になれる人を比べて、中途半端で飽き性な自分に、コンプレックスのようなものを感じていたのだと思います。

得意なこともよく分からなかったので、読書やスポーツを趣味にしている人や、仕事にしたいくらい夢中になれる「大きな好き」がある人が、羨ましくて仕方ありませんでした。自分にはなんでないのだろう?と焦っていた節もあります。

こういった劣等感から「一度立ち止まって、自分の好きとか得意に向き合ってみよう」とギャップイヤーを始めました。しかし、そううまくはいかないもの。とりあえず興味のあることを片っ端からやってみよう!と資格の勉強をしてみたり読書にふけったりしてみたのですが……残念ながらどれも続かず。心は躍るのに、飽きてしまうんです。

飽き性な自分が嫌で仕方ない。なにをやっても無駄なのでは?

なかなか目的が達成されないどころか、突破口も掴めない焦りから、

といった感じで無駄に思考の風呂敷を広げてしまい、自分を見失っていました。

***

ここで疑うべきだったのは「なんでもかんでも受け売りにしている」という部分です。このときの私は、「この考え方いい!」「この言葉好き!」と思ったらすぐにそのアイデアや言葉を使おうとする自分を安っぽくてミーハーのように思えて嫌だと考えていました。しかし、頭に新しい情報が入ってきた時点で「いい!」「好き!」という感情が働いていたのなら、それは選りすぐられた大切な「価値観」になり得ます。

それに、よく考えれば「誰かの寄せ集め」って、決して悪いことではないんですよね。人はひとりでは生きていけないから、毎日まわりの世界に少なからず影響を受けている。だから、人の意見を聞いたりまわりの世界を見たりして、取り入れながらうまく生きていくんだ。あながち間違いではないはず。

ミーハー上等。集めてきたのは自分なんだから、誰かの寄せ集めでいいんだ。もう少し、その心の動きを大切にしてあげるべきでした。

1 2 3