渋谷を歩いていたら、カジュアルな格好の女性がハイヒールを履いていた。
カジュアルなのに、ハイヒール。
というギャップも目を引いたのだが、ヒールの高さは相当高い。しかも歩きづらそうに、かかとに気を取られていた仕草が何ともチグハグだった。
僕は、ハイヒールを履いたことがない。
別に男性だからといって、ハイヒールを履いてはいけないという決まりはない。少数かもしれないけれど、ハイヒールを履く男性は、世の中には存在する。僕には、ハイヒールを履くという機会がなかっただけだ。
あくまで、現時点で。
諸説あるが、15世紀ごろにハイヒールが生まれた。それは平然と捨てられた汚物によってスカートの裾が汚れないようにという配慮だったらしい。それが今や、クラシックでラグジュアリーな装いとしてハイヒールが機能し続けている。
でも、多くの女性が口にするように、ハイヒールに慣れていない場合、足を痛めることがある。考えてみれば不思議だ。「ふつう」として認識されているものが、必ずしも機能的であるわけではない。
しかし、ハイヒールが映し出す、凛とした雰囲気は唯一無二だ。いまのところ替えが効くものはない。
いまは、あらゆるものが効率化という名のもとで、機能的であろうと集約されていく。
そうでないことも案外大切だ。「ふつう」というものが、ただただ受容されるような受け身の存在ではない。そんなことを示唆しているような気がしてならない。