発着地はひとつとは限らない(ふつうエッセイ #223)

何のことはない、長距離バスの「うっかり」話です。

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昨日と今日と、2年ぶりに長距離バスに乗りました。

むかしは頻繁に長距離バスを利用していました。いわゆる「格安」の高速バスです。大阪、京都、新潟、青森、金沢、萩(大阪〜萩)など。深夜の移動で身体への負担はありますが、新幹線よりもかなり安く行けます。お金がなかった時代には、非常にありがたい存在でした。

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今回も節約をかねての長距離バス利用でしたが、場所によっては特急列車と変わらない時間で移動することもできます。

しかも最近の高速バスは、四列シートであってもトイレが完備されていることが多いです。Wi-Fiが利用できるバスもあり(行きはWi-Fiがついていました)、うまく使うと快適な旅ができるものです。

今回は、長野県の富士見町を訪ねました。

発着地は「中央道 富士見」という場所。高速道路沿いの場所で、富士見駅からは徒歩20分程度のところです。行きはあいにくの雨でしたが、景色をのんびり眺めながら宿泊地まで移動ができました。

今回はとあるワークショップに参加するためで、観光が目的ではありませんでした。寝る時間も含めて14〜15時間という弾丸旅行。仕事の関係もあり、「今度ゆっくり来よう」という感じで、行きと同じバス停へ向かいます。

が……

行きと同じバス停へ向かっている途中、猛烈な違和感を抱きました。

あれ、ここ、バスが停まる場所じゃないかもしれない?

いやいや、そんなことはありません。「 行き」と同じ場所に向かっています。間違いなく「行き」と同じ……

いや、「行き」と同じ場所に向かってはだめなのです。

なぜなら、「行き」と同じ場所とは、長野県の北へ向かう道だから。東京方面に戻るためには、高速道路の反対側の発着地に向かわなければなりません。

幸いバスが少し遅れていたので、ことなきを得ました。

思い込みとは怖いものです。発着地がひとつだけ。そんな「きまり」はどこにもないのです。

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奇しくも前日のワークショップでは、「思い込みをどのようにして外すのか?」が問いとして挙げられていました。

人は誰しも思い込みがある。思い込みから逃れるためには、1つの思い・考えに固執せず、複数の選択肢を持つしかありません。

発着地はひとつとは限らない。ひとつのときもあれば、ふたつのときもある。

聞こえました。

思い込みのストッパーが、ガチャリと外れた音を。