タオルで顔を拭くとき(ふつうエッセイ #276)

ときどき泊まるホテルで、触り心地の良いタオルに巡り合えたとき。

「泊まって良かったなあ」。まだ、大して長く滞在していないにも関わらず、そう確信してしまう。

僕の顔に触れるものは、意外と限られている。

家族(妻、息子)、マスク、僕の手のひら、ハンカチ、水、石鹸類──

風と答えるのは詩人っぽいので避けるけれど、上記に加えて「タオル」はその代表格だ。自宅で使っているタオルはそれほど高価なものでなく、量販店で購入したものだ(と思う)。

朝起きて、顔を水で洗う。眠気は飛ぶが、この時点では「よし、今日も頑張ろう」という気分には至っていない。顔に水滴がついており、その状態では気分が締まらないからだ。

だから、タオルを使って顔を拭く。顔を拭いて、はじめて気分が締まる。「よし、今日も頑張ろう」という気分になるのだ。

そういう意味で、タオルはスイッチの役割を果たすかもしれない。スイッチと違うのは、ボタンの「ON」「OFF」と、ふたつに分かつものではないということだ。やっぱり清潔感のあるタオルだと、気分も引き締まる。臭いがついていたり、だらしなく湿っていたりすると、ちょっと残念に思えてしまう。

だから、タオルは大事なのだ。

高価か、そうでないかは関係ない。1日のはじまりを祝福するために、ふつうのタオルをちゃんと用意しておこうと思う。