あかぎれ(ふつうエッセイ #96)

コロナ予防で防ぐのが難しい手荒れ。

昨年に続き、今年も手荒れでひどく痛むようになってしまった。

保湿クリームを塗ったり、食器洗い時は手袋をしたりと予防策を講じなければならないのだけど、しばしば怠ってしまう。昨年よりは多少マシなものの、右手親指の爪のあたりに深めのヒビが入ってしまった。

昨年は両手全体のあかぎれに苦しめられて、それはそれで涙が出るほどの痛みだった。今回は1箇所のみ、だけど痛みになかなか苦しめられている。

よりによって、右手の親指の痛みだ。

物をつまむときにジンっと熱くなるような痛み。みかんの皮を剥くときにピリっと沁みるような痛み。「〜ような」と書いたけれど、実際に熱みを帯びているし、沁みている。

すぐ治るものでもない。食器洗いするたびに治りかけの傷は、さらに深まっていく。スマホのフリック入力でも右手親指は使わざるを得ないため、長期化するだろうなと嘆息してしまう。

「あかぎれ」とは、シンプルだけど分かりやすい言葉だ。

赤くて切れている。赤くて切れていたら、それは当然痛ましいそうであり、実際にめちゃくちゃ痛い。こんなに抜群なネーミングも珍しいだろう。抜群なんだけど、当事者になったらたまったもんじゃない。

痛みよ、コロナと共に、飛んでいってくれ〜!