「どちらが正解というわけでもない」問いというのが、世の中には確かに存在すると思う。家のトイレで鍵をかけるのか、というのは間違いなく夫婦間、家族間で論争を巻き起こす類の問いだろう。
外出先なら、もちろん鍵をかける。
うっかり鍵をかけるのを忘れると、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをする。
かつて中国・北京を訪ねたとき、トイレの鍵が壊れていた。というかそこにあるトイレの殆どの鍵が壊れていて、用を足す人たちは壊れていることを前提として用を足していた。実にたくましい。郷に入っては郷に従え、僕もそのままトイレで用を足していたら、子どもが勢いよく扉を開けたのを未だに根に持っている(根に持つようなことでもないのだが)。
話は脱線したけれど、外出先のトイレで鍵をかけるのは、マナー以前の常識だ。そこに疑いはない。であれば、自宅においても鍵をかけるのが当然になりそうなものだが、ことはそう単純ではない。世の中には鍵をかける人、かけない人、何ならドアを開けっ放しで用を足す人もいる。自宅という安全が保証された空間で、こうも流派が分かれるのはとても興味深い現象だと思う。
不測の事態が起こり、トイレで倒れたりするというケースは可能性としてなくはないのだけれど、まあ無難な選択肢を取るならば「鍵をかける」が一番良いのだろう。ひと手間かかるが、誰も傷つけない。
ただ「鍵をかけない」という人の気持ちも分からなくはない。前述した通り自宅は(たぶん)安全であり、安全な中では自由を謳歌したいという精神はそれはそれで尊いものだろう。長年の歴史で積み上げられてきた自由の象徴がそこにあるかもしれない。
「家のトイレで鍵をかけないのは、それはもはや生き様なのだ」
なんて言う人がいたら、僕はうっかり拍手してしまうかもしれない。
家のトイレを巡る争いは、他にもたくさんある。ウォシュレット、トイレットペーパー、便座、備え付けのタオル、掃除問題……。その全てに物語があり、流儀があり、生き様がある。トイレは人生の縮図だ。トイレに関するいざこざを矮小化してはいけない。僕は、わりと本気でそう思っているのだ。