楽しいことばかり(ふつうエッセイ #35)

もし資産形成に成功し、生涯お金に困らない生活ができるとしたら、一生働かずバカンスしながら過ごすという憧れを抱いている方はそれなりにいるだろう。(実際そういう状態になった人は、数年でバカンスに飽きて、何かしらの仕事に復帰することが多いと聞く)

そこまで望まないにせよ、普段仕事で疲弊している人なら、とりあえず仕事以外のところでは「のんびりと」「楽しいこと」に浸かりたいという心情はあるような気がする。それはそれで良いことだし、心の平穏は生活のベースとして重要だ。

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そして有難いことに、世の中は楽しいことに溢れている。

毎月Netflixに1,000円払えば、日本はおろか、世界中のエンタメコンテンツにアクセスできる。全てをNetflixに費やしても全く時間が足りないほど、毎日のように新しいコンテンツが大量にアップロードされている。そこに国境はない。素晴らしい時代だと、本心で、そう思う。

だが、当然のことながら、世の中には楽しいことばかりではない。

オブラートにあえて包めば、「もしかしたら自宅のアパートに殺人者が訪れるかもしれない」と日々の生活に怯えを感じている人もいる。彼らは特に罪を犯したわけではない。ただただマイノリティであり、弱い立場にいるというだけで、マジョリティ側の無意識な差別による怯えを感じているのだ。

そういったことから、目を背けて(気付かないフリをして)本当に良いのだろうか。

楽しいことばかり、と感じる人がいる一方で、悲しいことばかり、と感じる人もいる。

それは理不尽のことのように(少なくとも)僕は思うのだけど、僕の感覚は間違っているのだろうか。思索は続く。続いていかなければならない。