気持ちが嬉しい。(ふつうエッセイ #584)

人間、感情が動くのは金銭だけではない。

お土産文化に代表されるように「ちょっとした贈り物です」なんて言われて渡された手土産に、心がホッコリすることがある。

「堀さんの、こんな言葉が印象に残りました!」と感想を告げてくれるだけでも、もちろん嬉しい。たかが感想と思うなかれ、その気持ちはものすごく嬉しいものなのだ。「伝わる」という感覚。どんなふうに伝わったのか、相手の気持ちが分かると「これからも頑張るぞ!」という気持ちになれる。

それは贈られる「何か」だけとは限らない。

一緒に働いている仲間が、ものすごく思いを持っているときとか。「あいつ頑張ってるな」と思えたら、僕も力を注ごうと思う。ミスして悔しい表情を見かけたら「おれがフォローするよ!」なんて思ったりする。直接感じる思いもあれば、間接的に伝わる思いもある。熱い思い、クールな思い、その形は様々だが、いずれにせよ「伝わる」ことの大切さは、どんな時代も普遍的なものだ。

逆に、全く気持ちが伝わらないときもある。

え、なんでそんな言葉が出てくるのだろう。それは経験の浅さとか、性格の悪さとか、そういったところとは別に、人の気持ちを底に蹴落としてしまうものだ。そんな言葉を投げかける人は、そもそも気持ちが入っていない。気持ちがゼロなのだ。いや、気持ちはあるのかもしれない。でも、その気持ちがこっちに向いていない(自分の方に向いている)なんてことがあるように思えてしまう。

対面で話をすると、そういったことが誤解だったということもある。コロナ禍のリモートワークは、そういった誤解を加速させた。そして誤解したままで関係性が途切れてしまったケースも多いのではないだろうか。

気持ち、なんていうと精神論の話に思えるかもしれない。

でも、どんなにキャリアがある人にも、気持ちが見えないことは少なくないのだ。

振り返って、僕自身が気持ちを込めて生活しているだろうか。妻や、身近な子どもたちに、真摯な気持ちで向き合っているだろうか。日々、気持ちを込めて、生活や仕事に臨んでいたい。ちゃんと外に向けて、気持ちを放っていこう。