左脳派とか、右脳派とか(ふつうエッセイ #354)

左脳と右脳に別々の機能があると発見されたことで、誤って拡大解釈されたのが「左脳派」「右脳派」といった言葉だ。

ロジカルな人は「左脳派」と見做され、芸術的な才能がある人は「右脳派」と見做される。日々の会話でも「左脳的には〜」といったことが出てくる。メッセージが正しくても喩えが誤っている気がして、すんなり理解できない。「すんなり理解してもらう」ための喩えのはずなのに、本末転倒である。

いわゆる俗説といわれているものは、世の中に数多く出回っている。

出回っているということは、それらを信じている人がすごく多いということだ。色々な事象というのは、複数の要素の組み合わせのもとで成立していることが多い。「ひとつの会社には最低でも3年は勤めるべき」という主張には、多くの人の経験則や社会トレンド、企業の要請などが絡んでいる。

それらの背景をぜーーーーーんぶスッ飛ばして、「3年」という言葉が一人歩きしているのが現状だ。本来であればそれぞれの変数を見出し、総合的な判断で「いまの現状であれば5年くらいは働いた方が良いな」とか「3年といわず1年で辞めた方が良いな」とかが導き出されても良い。そもそもゼロイチで語られがちだった転職だって、いまは副業やクラウドソーシングといったオプションがあるわけで。「別のスキルを高めつつ小遣い稼ぎがしたい」という需要に応える環境が一般的になっている。

物事を単純化したり、分かりやすい喩えをしたり。

そこには善意だけでなく、何らかの作為や悪意が潜んでいることもある。善意だったとしても、「誤った情報」の上での善意であることもある。

頼れるのは自分だけ──というと極端だけれど。少なくとも、5分で理解できるような知識は、知識とは言えない。あくまで記号的な情報だと思っておくくらいがちょうど良い。

さて、こうやって1年間欠かさずエッセイを書き続けてきた僕は、左脳派なのだろうか、それとも右脳派なのだろうか。俗説に照らし合わせたとて、それっぽい結論にはなかなか行き着きそうにない。