コロナ禍で人生や価値観が大きく変わった──
高円寺で暮らす青木優莉さんもそのひとりだ。勤めていた組織を辞め、学生時代から目標にしてきたイタリア滞在の準備をしていた最中。歴史的なパンデミックのためにイタリア行きを断念、様々なことを手放さざるを得なかった。誰がどう見ても同情すべき状況の中、ひたすら明るさを保ちながら前を向く優莉さん。手放したものの引き換えに、得ることができた覚悟とは?
「その1」では、内気な少女だった優莉さんが、幼少期に積み重ねた成功体験について紹介する。
青木優莉(あおき ゆり)
神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学在学時にDesign Researchを学び、街における「市民参画の仕組みづくり」に関心を持つ。株式会社博報堂に入社後、特定非営利活動法人シブヤ大学を経て、現在は株式会社アソボットのディレクターを務める。また株式会社銭湯ぐらしのメンバーとして、高円寺「小杉湯となり」のイベント企画、ECサイト運営を担当している。
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姉に抱いた小さな劣等感と、アイデンティティ探し
「経歴がしっちゃかめっちゃかなんです」と舌を出す優莉さんは、幼少期から物語に満ちていた。
横浜出身の両親のもと、二人姉妹の次女として生まれた優莉さん。ひとつのことに打ち込める勤勉な姉に比べ、負けず嫌いで自己主張が強かった優莉さん。姉に小さな劣等感を抱きながら、優莉さんは自分の生きる道を探っていた。
「小さい頃から、お互いバレエのレッスンを受けていました。姉の方が才能があったんです。線が細かったり、骨格が綺麗だったりして、バレエでは全く勝てないと自覚していました。姉妹でいると比べられてしまうので、バレエ以外の道で勝てる方法を探していました」
優莉さんは小学2年生のとき、バイオリンを始める。誰もバイオリンを勧めていないのに「バイオリンをやるんだ!」と決意したのだ。
本人曰くアイデンティティ探し。バイオリンを部活にするために進学した東京都内の私立中高一貫校では、生徒会長を務める。しかし折り返しとなる3年間を過ぎようとした頃、はたと立ち止まる。
「ほとんどの生徒がそのまま高校にも進学します。私はどうしようかと迷いました。中学3年間のような生活を高校でも過ごすのか……何か変化をつくりたいと思ったんです」