なりたい自分を見つけられなかった大学生が、「なりたい自分に出会える塾」を作った(江戸川区の学習塾・後編)

勝算はなかった。やりたくないことを削っていったら学習塾になった

それでも教員を続けようと思っていた風間さんだが、最終的に2年で教員生活を終える。

「正直なことを言うと、学校の文化がキツかったんです。労働時間の長さも含めて。ある意味で、淡々と仕事をすることが求められていました。新しい取り組みに挑戦しても評価されるわけではない。教員として、ずっと働いていくイメージがどうしても湧きませんでした」

ではなぜ学習塾なのか?という質問を投げると、意外な答えが却ってきた。

「実際のところ、やりたくないことを全部削っていったら学習塾になりました。会社員のこれが嫌だとか、大企業のこれが嫌だとか、教員のこれが嫌だとか。消去法の末に「自分でやる」という選択肢をとったという感じです」

勝算はあったのか聞いてみると、風間さんは笑って否定する。

「正直、全く分かりませんでした。学習塾業界はレッドオーシャンで、色々な学習塾が乱立している。根拠のない自信だけはありました。同じ形態で開業している学習塾を見学に行ったのですが、これなら自分にもできるんじゃないかって思ったんです」

それに……と言葉を継ぐ。

「最悪成績が上がらなかったら、これくらいの規模ならマンツーマンで教えることはできますから。そうすればさすがに成績は上がります。初期費用はiPadなどの設備投資で200万円くらい。あとは事務所の家賃ですね。開業時は実家に転がり込ませてもらい、生活に関わるコストもかけずに済みました。上手くいかなくなっても、それくらいの借金なら働いて返せると思いました」

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