冬に鳴る風鈴(ふつうエッセイ #474)

酷暑が続く夏に、一服の清涼剤となるのが風鈴だ。

カラン、カラン。その音色は、風の強さや、鈴(舌)が鐘に触れる角度によって微妙に変わる。

先日、そんな風鈴を、近所のある一軒家で見掛けた。

冬の冷たい風に吹かれた風鈴は、夏と寸分変わらぬ音色を奏でていたけれど、夏に感じた「一服の清涼剤」感はない。むしろ物悲しく、冬の寒さを一層強めたような印象すらある。

夏と冬で、どうしてこんなに聞こえ方に違いがあるのだろう。まあ、そりゃ寒いからだろうと結論づければそれまでなのだけど。

冬に鳴る風鈴のような振る舞いを、僕はしていないだろうか。

ふと思ったのは、そんなことだ。

能力も、人間性も、ひとの大事な資質かもしれないが、機能するかは環境次第だ。ティラノサウルスだって、環境の変化に耐えられずに絶滅してしまった。強いもの、大きいもの、才気豊かなものが生き残るわけではないのだ。それは、良くも悪くもということだけど。

冬に鳴る風鈴の音色も、よく耳を澄ませれば、爽やかな音色かもしれない。でも、あんな寒い夜道に聞くのは、あまり心地良い体験ではない。

冬は、あっつあつの味噌鍋が美味しい。筋が通った生き方も、それはそれで尊いかもしれないけれど、僕は臨機応変に、その場を泳ぐようなたくましさを身につけたい。