選んでいるから。(ふつうエッセイ #416)

選ぶにも、様々なレベル感がある。

「今日はどんな料理を作ろうかな」と思ってスーパーで食材を選ぶ。肉にしようか、魚にしようか。思いがけずセールになっている食材に目移りする。自分へのご褒美と奮発して、いつもより高価な肉にしようか。なんて、そのときどきの状況に合わせて選ぶことにする。

市政、都政、国政の選挙も、選ぶ行為がベースになっている。有権者の選ぶ行為の集積によって、日本の立法府の骨格は決まる。組織票などはあれど、開票前は、どの候補者もフラットだ。

そう、選ぶ前というのは、誰にとっても「まっさら」な状態なのだ。漢字で「真っ新」とあてるのでなく、ひらがなの「まっさら」。さらさらの雪上のように、どんな足跡もつけられていない状態。心躍るときもあれば、少し不安を感じるときもあるだろう。

どうしても、仕事で頭がいっぱいだ。脳内がキャパシティを超え、何も考えられない。

そんなとき、そのまま仕事に臨むのも、一息いれてコーヒーを飲むのも、自分自身で選ぶことができる。それほど迷惑が掛からないのであれば、急遽休みにして、旅に行くことだってできるのだ。

逆にいうと、選んできた結果として、いまの自分がいる。

常に、何かを選んでいる。良い選択ができているかどうか、いまの自分の顔を鏡でみれば分かる。

まだまだ大丈夫。これかも選ぶ余地があるのだから、一歩ずつ前に進んでいけば良い。