仕事なんて腰掛けだった──父の死をきっかけに、社会課題の解決に取り組む(JINO株式会社 代表取締役 郷司智子さん・前編)

恩返しをするために、聴覚の仕事を始める

父親が亡くなった後、郷司さんは真面目に仕事に取り組むようになる。

郷司「​​それまでは、仕事に対して面白さを感じられませんでした。腰掛けというか、中途半端な態度で仕事をこなしていました。当時の同僚の皆さんには、とんでもなく失礼で、申し訳ない話なのですが。
父が亡くなって、『社会のことをちゃんと知りたい』と思うようになりました。色々動き、調べていくうちに、社会の様々な不備や矛盾に気付くようになりました」

父親の死後、郷司さんの母親が半身不随になる。自由に動けなくなったことで、あらゆる場所へのアクセスが遮断されてしまったという。当時は、スロープが設置されている施設も少なかった。医療や社会環境について、変えるべき点が目に付くようになっていた。

そして郷司さんは、「聴覚に関する仕事をしよう」と思い至る。

郷司「ろう者の叔母も、既にふたりが鬼籍に入っています。彼女たちは私にとても優しくしてくれたのに、何もしてあげられなかった。その分、誰かに恩返ししなくちゃと思うようになりました。そのとき、ちょうど補聴器メーカーの求人募集があって。タイミング良く入社できたのですが、すぐに補聴器に関わる様々な課題にぶつかったんです」

補聴器そのものの性能が良くても、お客さまが満足するとは限らない。ケアの仕方が間違っていたり、適切でない補聴器を使用していたりすれば、当然ながら聞こえの課題は解決されない。

郷司「技術面から課題解決できないかと考え、総合電機メーカーに転職したこともありました。『貼る補聴器』のように、お客さまが簡単に扱えるものを開発できないかと考えたんです。人間の聴覚に、直接効果を与えられるような方法はないか模索したこともあります。『ああ、これもダメか』と、何度も技術の壁にぶつかって。結局また、補聴器業界に戻ったんですけど」

幸いなことに、補聴器業界の中にも、郷司さんと同じような危機感を抱く人がいたという。彼らと「何とかしよう」と議論を続けてきたことが、JINO株式会社の創業へとつながっていく。

参考 JINO株式会社JINO株式会社

(Photo by Momoko Osawa)

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