ろう者の叔母、父親の介護
郷司さんにはろう者の叔母が3人いた。幼少期に楽しい時間を過ごした叔母たちは、郷司さんには「ふつう」の存在だったという。
郷司「両親の実家は、共に大分県にあります。親戚はみんな九州にいたので、長期休みになると必ず訪ねていました。叔母たちは優しく、私たち家族と遊んでくれました。自分にとって叔母たちは身近な存在、『何だか不思議な声だな』くらいにしか思っていなかったですね。
小学校高学年のとき、誰かに指摘されたわけではないのですが、『うちの親戚はちょっと違うんだ』と気付き始めました。世間が感じるろう者へのイメージに対して『溝』のようなものを感じ、反発したくなるような気持ちが徐々に芽生えていったんです」
郷司さんにとっての転機は、父親が若年性アルツハイマーを患ったこと。当時、郷司さんは20代。家族それぞれの事情で、父親を介護できたのは自分しかいなかったと話す。
郷司「肺がんをきっかけに、父の若年性アルツハイマーが急速に進行しました。夜中にわけの分からないことで起こされたり、排泄の世話をしたり。20代そこそこの若者にとっては、それなりにインパクトが大きい出来事でしたね。
父は、大企業の役員を務める、いわゆる『社会的地位』が高い人でした。父のことをずっと尊敬していましたが、認知症を患ったことにより『人間はこんなに変わってしまうんだ』と愕然としました」
父親の介護で、郷司さんには忘れられない出来事があったと話す。
郷司「その後、父は治療のために入院しました。私が見舞いに行ったとき『お父さん、こんなんなっちゃってごめんね』と謝られたんです。そのときだけ、いつもの父に戻ったというか……それを言われたとき、ものすごくショックを受けました。
と同時に、父がこれまでどんな苦労をしてきたのか、私は何も見てこなかったと気付きました。私たち家族は、何ひとつ不自由ない生活を送ってきましたが、それは親として、ろう者の姉妹の兄弟として、父がいつも奔走してきたおかげでした。
父は、会社では主に人事の仕事をしていました。『働くひとを幸せにしたい』という思いだったと、父の同僚が教えてくれたんです。『働く』ことで、本人も家族も満たされた状態でいることができる。だから一生懸命仕事に取り組めたんだと思います。もっと早く知れたら良かったですけど」