こぼす(ふつうエッセイ #154)

行儀の良い話ではないのだけど、本日、夕飯時に何度かご飯やおかずをこぼしてしまった。

あれ?
あれ?
あれ?

3回くらいだったと思うけれど、立て続けにランチョンマットに食物がこぼれ(うち1回はキムチだったので慌てて拭きました……)。

息子に気付かれなかったのは幸いだけど、どうして今日に限って、こぼしてしまったのだろうか。

「こぼす」の用例として、

涙をこぼす
愚痴をこぼす
ミルクをこぼす

といったものが挙げられる。「ミルクをこぼす」以外の2つは、意図してこぼせるものではないことが分かる。

涙は悲しい / 悔しいと思ったときに流れてしまうものだし、愚痴だって思わず口を衝いてしまうものだ。

とすると、もしかしたら「ミルクをこぼす」だって、自分の能力や意図とは別の引力が働いて起こってしまうものなのではないだろうか。

乳幼児期を経て、小学校に入学する前後において、家庭ではしつけとして食事をこぼさないよう指導される。「ご飯こぼしちゃダメだよ」という具合に。

考えてみれば、こぼしたくてこぼれるわけではない。

気が散って別のことを考えているときに、ふと、こぼしてしまうのだ。そういうことがないように食事に集中すべきなのかもしれないけれど、食事(食べること)とは、けっこう集中するのに適さない状況だ。

誰かと食べるのであれば会話が発生するし、テーブルは食事に彩られているし(良い匂いもする)、場合によってはちょっと眠いなんてこともある。

そう簡単に、食事に集中できるわけではないのだ。

ということで、結論、ご飯やおかずをこぼすのは不可抗力ということに思い至った。皆さんはどうお考えだろうか。

ちょっと詭弁のような気もするけれど、こぼしたくてこぼす人はいない。所作というものは、長い時間をかけて身に付くものであるわけで、少なくとも小学生くらいの子どもに「ご飯はこぼさず食べなさい!」というのは、どだい無理な話だと思うのだ。