思考のストッパー(ふつうエッセイ #17)

昨日とある勉強会に参加した。

尊敬する主催者の方から「皆さんの思考のストッパーを外したい」という話が出た。

僕らは無意識で「できない理由」を探している。才能がないからできない、人が足りないからできない、お金が足りないからできない、コロナ禍だからできない。

もちろんどうしようも外部環境のときもある。明らかな逆境をノープランで渡ろうとするのは無謀だ。会社はキャッシュがなくなったら終わりだし、アスリートは致命的な怪我が引退を招く。

だけど頭の中、つまり机上の空論上は、自由に発想をした方が良い。思い切りジャンプしたら良い。そのとき結果的に実を結ばなかったとしても、「できたかもしれない」が今後に繋がっていく。

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子どもは、真っ白な紙に、自由に絵を描く。

街を描いたら、こんなお店がほしい、こんな人がいたら良いな、こんな色の街が良い……など希望に溢れている。「○○に特化したお店を出したいけれど、売上が厳しそうだな」なんてことは決して考えない。

子どもの能力がほしい。と思うけど、とっくに大人は子どもの能力を凌駕している。

であれば、子どもにできて大人にできないものは何だろうか。

これまで経験してきたことや、植え付けられた常識が、自由な発想を阻害しているとしたら、もったいないことだ。

こんなこといいな、できたらいいな。

時々、ドラえもんに相談できたら良いのにね。